Ⅰ.ドイツの著作権を考えて――文化(法)と自由
ドイツのニュースを見て、考えた。
OpenAIが運営するChatGPTが、ドイツの音楽著作権管理団体GEMAから訴えられ、
ミュンヘン地方裁判所が著作権侵害を認めたという。
AIが著作権で保護されたドイツ語の歌詞を無許可で学習データとして使用し、
出力でも類似の歌詞を返す可能性があるとして、損害賠償の支払いが命じられた。
文化を守るための法が、新しい表現の息を止めかけているように見えた。
けれど同時に、これもまた文化を愛する国の姿なのかもしれない。
Ⅱ.法は守るためにあり、文化は生み出すためにある
日本でも、似た議論があった。
ある楽曲が別の作品に似ているとして、
創作者自身が著作権への懸念を表明した一件だ。
専門家の多くは「著作権侵害に至るほどの類似ではない」と見ているが、
議論は広がり、創作の自由と権利の境界が改めて問われた。
この二つの出来事は、構造こそ違う。
一方は人間同士の創作の重なり、もう一方はAIと人間の問題。
けれど、根っこにあるのは同じ問いだ。
「美を感じる心を、どこまで法が裁いてよいのか」

Ⅲ.模倣は敬意であり、発展である
ドイツの著作権法には「人格的著作権」という考え方がある。
作品は作者の精神の延長であり、それを模倣することは魂に触れる行為だと捉えられる。
だから彼らは厳しく守る。
一方、日本には「守破離」という言葉がある。
師の型を守り、そこから破り、離れていく。
模倣は創造の入口であり、敬意そのものだ。
文化が模倣されることを、消費と見るか、継承と見るか。
私は後者だと思う。
模倣されるということは、心を動かす力があった証。
それがなければ、誰も似せようとはしない。
Ⅳ.綺麗だと気づく心が、未来をつくる
李白の詩にある。
「山花開似錦 澗水湛如藍」
(山の花ひらきて錦に似たり、澗の水たたえて藍のごとし)『文選』の李白の詩句

この世界の美しさを、ただ受け取ること。
花を見て「綺麗だ」と感じる心に、理屈なんて要らない。
その一瞬の響きの中に、人がまだ人である証がある。
綺麗なものを感じることは、気づくこと。
法も文化も、どちらも大切だ。
法は守るためにあり、文化は生み出すためにある。
その両方に敬意を払いながら、ありのままの感動を信じ、
正しく学び、美しいものを生み出すこと。
それが、新しい未来の姿だと思う。
法は枠であり、自由は息であり、美は魂である。
どれか一つが欠けても、文明は歪む。
だからこそ、私たちは問い続けなければならない。
「何を守り、何を生み出すのか」
著作権は、創造を守るための約束である。
そして、創造を用いる私たちにもまた、責任がある。
遊びや模倣の軽さではなく、敬意と理解のもとに使うこと。
それが、文化を次へとつなぐ第一歩になる。
AIはその助けとして、人の想像を広げる存在になりうる。
もし私たちが法と感性の両方を信じられるなら、
そこから新しい美が生まれていくはずだ。
その問いの先に、花を見て綺麗だと思える世界が続いていくことを、私は信じている。

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