行雲流水。
雲水と略されることもある。
水や雲のように流れるまま、ありのまま。
自分を見つめる修行僧の在り方。
定まらず、縛られず、
ただ流れの中に身を置く。
立ち止まると気づくことがある。
景色が曇るとき。
言葉が絡まるとき。
そのとき、急いで答えを求めない。
まず、観る。
何が起きているのか。
どこで自分がいるのか。
それが、軸となる。
軸とは、起点。
自分の位置がどこにいるのかを知ること。
立ち位置が定まると、景色が変わる。
絡まりは、構造として見え始める。
世の中には、しがらみというものがある。
人との縁、言葉、記憶。
それらが少しずつ重なり合い、形を持っていく。
絡まりは、突然現れるものではない。
気づかぬうちに重なり、
いつの間にか形を持つ。
だから、ほどく。
ひとつ、ひとつ。
急がず、力を入れずに。

絡まりをほどくことは、掃除に似ている。
雲水にとって、掃除は修行である。
身体を動かし、周りを清めていく。
散らかったものを整え、
重なったものを分ける。
ほどくことも、同じである。
紐をひとつひとつ見極め、
静かに解いていく。
ほどくとは、元に戻すことではなく、
流れを通すこと。
流れが通るとき、
見えていなかったものが静かに現れる。
自分の軸。
相手の軸。
比べるのではなく、並べて見る。
立場を変えることで、
見えていなかった景色が現れる。
世界の変化は、大きなものではない。
小さな誤解が、ひとつほどけること。
過熱した言葉の温度が、少し下がること。
反応の前に、ひと呼吸置くこと。
すべてがほどけることはない。
新たな絡まりは、また現れる。
それでも、手を止めない。
ほどききれないものを抱えながら、
それでも、ひとつだけ触れてみる。
今日できることは、今日やる。
大きなことではなく、
目の前のひとつを動かすこと。
周りを掃き、
身の回りの絡まりに触れる。
ほどいていくうちに、
外だけでなく、内も整っていく。
散らかっていたものが、
少しずつ静まっていく。
それは、心の掃除でもある。

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